からっぽ仙人のありがとう操体法&患者ものがたり

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操体法の施術から養生法

このホームページには
師匠である今昭宏先生の講習会に参加した
2000年のヤジウマレポートから入っています。
あれからもう18年になるんですね。

現役の頃は
操体法の施術テクニック」について
書いていました。

10年前に脳出血になってからは
自分でできる操体法」とか
操体法息食動想」を
意識するようになりました。

人にやってあげる「施術」から
自分でやる「養生法」へと変化したんです。

同じ操法であっても
施術と養生法では
やり方はまるで違うんです。

ありがとう

生き方としての操体法

今の私がここで書いているのは
「治療としての操体法」ではありません。

治らない人間が
「いかに気持ちよく生きるか?」という
「修行」なんです。

棚からぼたもちが落ちてくるように
待っているだけでは
なにも得られないことがあります。
自分で行動する必要があると思うんです。

それが操体法で言う
息食動想」だと思うんです。

息の使い方で痛みが軽くなりますし
緊張などもとれます。

食事は体を作っている材料でもあり
ほかの生物などの「命を頂いている」んですよね。
食事で病気や障害が軽くなったりします。

動きがわかると面白いんですね。
え!こんなに簡単に痛みが楽になるの! と
気がつくと楽しいんです。

想によっても痛みは軽くなります。
うまく行けば一瞬ですね。

こういったことがわかると
楽しくなってくるんです。

これは治療ではないんですよね
「生き方」なんです。

ありがとう

半身麻痺になって操体法が上手くなった

私の操体法
だんだんシンプルになっていって
時間も数秒で終わるようになりました。

これは体が疲れることと
動きにムダがなくなったからだと思います。

こういうことがわかってくると
なにげなくやっているのに
効果はまるで違ってきます。

角度とかスピードがまるで違うし
目の使い方も瞬間的にいろんな情報を得ます。
意識も瞬間的に切り替えます。

現役の時にはできなかったですね。

これは24時間続く激痛と
半身が動かないことで
「できることが少なくなった」ためなんですね。

普通だったら
体が動かなくなったことで
「私にはできない」という人が多いんですが
私は逆なんですよ。

「昔のようにできなくなったから」こそ
「今の状態でもできること」を工夫したんです。

今思えば
体が自由に動けた時は
ムダな動きが多かったです。

意識もそうです。
考え過ぎだったんです。

「いらないものを捨てる」
ことができるようになって
私は変わったんです。

面白いですね。

ありがとう

自分の体や心と向き合う操体法

今の私は51歳ですが
生まれつき足に障害があり
喘息やアトピーなどの病気で
長い間苦しんできました。

10年前には脳出血になり
今も自宅からほとんど出られません。
右半身が麻痺していて
視床痛という24時間続く痛みがあります。

仕事も妻子もありません。
父の年金で生きています。

初めのうちはなんとかして
社会復帰しようと頑張りましたが
脳出血が再発したりすると
もう無理なんだなということを思い知らされます。

こういう人間は
なにを生き甲斐にしたらいいのでしょうか?
毎日自問自答しています。

操体法では「息食動想」というのが
大事だと言われていますが
言い換えれば「体と心」だと思うんですよ。

私は体と心について
毎日やじうましています。

ありがとう

脳出血のリハビリ操体法

体が不自由だったり
激痛があったりすると
生きているのは楽ではありません。

おまけに
私には高次脳機能障害というのがあって
知的障害のような状態なんですよ。

脳出血になったばかりの頃は
数字の10以上は数えられなくなったり
電話のかけ方がわからなくなったりしました。

コミュニケーション障害もあります。
突然切れて怒り出すこともありました。

それだけではなく
相手の言葉が理解できなかったり
段取りを組んで物事ができないんです。

段取りは仕事で厳しく叩き込まれましたから
倒れる前までは当たり前のこととして
できたわけです。

えーっ!
私はこんなこともできなくなったんだ! と
がく然としましたね。

社会的に役立たずになった人間でも
生きていかなければなりません。

いっそ死んでしまいたいと思うこともありますが
なかなか思うようには行かないんですね。
生命力というのはかなりしぶといみたいです。

こんな時も操体法なんですね。
想の操体です。

ありがとう

ああ!これが操体法なんだ!

私は1日中椅子に座って
自分の体や心と向き合っているんですね。

家の中ではなんとか杖無しで動けますが
できないことがたくさんあるんですよ。

始めの頃は
車椅子に座ったまま
窓から庭の松の木を見ていました。

当時は半身が耐えられないほど痛くて
痛みを我慢するだけで精一杯でしたね。

その痛みの中から
「姿勢によって痛みが軽くなる」ことや
「想いによって痛みが軽くなる」ことに
気づいたんです。

ああ!これが操体法なんだ!
ということがわかって嬉しかったですね。

今でも
自分の体に限定してですが
痛みを自由に出したり消したり
できるようになりました。

暇に任せて
そんな遊びをしています。

ありがとう

操体法で体が治るという基準をどこに置くか

病気や障害などには
「元通りの体にはならない」ことがあるんですね。

ところが
「今よりも回復する」のは
簡単だったりするんですよ。
実際に私がやってきましたからね。

「体が治る」という基準を
どこに置くかで違ってきます。

つまり100%治らないと納得しないのか
1%でも回復していくのを喜んでいるうちに
だんだんに回復することもあります。

このあたりの
「治るという意識が変わる」と
結構幸せだったりします。

体と心は連動しているんですよね。
これが操体法の極意です。

ありがとう

操体法では原始感覚が大事

痛みを一時的に抑えたり
可動域を一時的に広げても
またすぐに元に戻ることがあります。

こういう場合は
体の使い方を変える」とか
「意識で遊ぶ」ことがいいみたいです。

これも私が試した方法です。
他の人にも効くかどうかはわかりません。
面白そうだと思った人だけやじうましてくださいね。

エラそうなことを書きますが
人間は「意識」というのを重視するみたいです。

例えば体の使い方にしても
理屈で納得できた方法を
良いと思ってやることがあるんです。

「科学的に証明されている」
「学校などで教わった」
「有名な先生が言っている」
ということを大事にするみたいなんですよ。

ところが実際にやってみると
よけいに体を壊すこともあります。

私はいちおう鍼灸師の国家資格を持っていて
デイケア診療所 接骨院 整体院などで
修行してきたんですね。

いくら修行しても
回復しない人もおられたわけです。

当時の私は
自分の技術がヘタなのが原因なんだと思って
がむしゃらに頑張ったら脳出血です。

10年間脳出血のリハビリをしてみて
「感覚が大事」だということに気づいたのです。

操体法というのも
大事なのは理論ではなく
「感覚」だったみたいです。

原始感覚」ですね。

ありがとう

与えられたものを喜ぶ操体法

私は「人並み」になりたかったですね。

人並みに仕事をして
人並みに結婚して家庭を持って
人並みに遊びたかったですね。

でもねー
病気や障害を持っていると
人並みになるためには
五体満足な人の何倍もの努力が必要です。

いくら頑張っても
人並みになれない自分が悔しくてね。

体もボロボロでしたから
早くおさらばできないものかと思ったものです。

最近になって変わってきたのは
「ありのままを受け入れる」という
ことでしょうか。

人並みというのは妄想なんですよ。
それぞれもって生まれたものは違うんです。

「自分に与えられたものを喜ぶ」というのが
操体法ではないかと思うんです。

ありがとう

これは操体法の修行です

家に籠もっていると
病気や障害で
病院や施設に入っている人のことを
よく考えます。

私は国立療養所に2年半入院していたこともあり
病院ぐらしは長いんですね。

ですから
同じような生活をしていても
家とは全く違うのが分かるんですよ。

私も父が亡くなったり
脳出血が再発して寝たきりになったら
また施設に入るのかなと思うと
すごく怖いんですよね。

できればそうならないうちに
おさらばしたいなと思ったりします。

実際はどうなるかわかりませんけどね。
人生っていうのは思い通りに行きません。

ですから私は
操体法息食動想を使って
「できるだけ施設に行かないでも済むような生活」を
しているんですよね。

ぶっちゃけ
かなりめんどくさいですよ。
人にはお勧めしませんし
「私には絶対にできない!」と言われます。

これは私の修行なのかもしれませんね。
押忍

ありがとう

気づきの操体法

ぶっちゃけ私は
五体満足な人が
うらやましくてしかたがありません。

体さえ動けばなー
もっといろんなことができるのになと思うと
悔しくて仕方がありません。

でもねー
施術の修行をさせていただいたおかげで
「五体満足な人も苦しんでいる」ということが
わかったんですね。

優秀なスポーツ選手は
いい成績を出すために
体を痛めていることがあります。

お金をジャンジャン稼いでいる人も
夜遅くまで働いたり
不規則な生活で体を壊すことがあります。

そういう方の体を施術させていただくと
どんなに頑張っているか分かるんですよ。
固くなっていたり
触れただけで痛いっ!と飛び上がったりしてね。

相手の状態を知らないで
うらやましいと思っていたのが
この人も大変なんだなーと気づくことで
気持ちは楽になりましたね。

かといって
うらやましいという気持ちは
無くなったわけではありませんよ。

ひとをうらやむばかりではなく
自分が持っているものを喜ぶことで
癒やされてきているような気がします。

これも想の操体でしょうか。
「気づきの操体」です。

ありがとう

原始感覚操体法

もしも私が生まれ変われるなら
今度こそは五体満足で生まれたいです。

もう病気や障害は飽きましたよ。
できるものならもう生まれたくないですね。
疲れました。

前世とかってあるんでしょうかね?
私にはわかりません。
できれば無い方がありがたいかな。

少なくとも
人間にだけは生まれたくないですね。

もっと本能のまま生きたいです(笑)
原始感覚と言ってもいいかもしれません。

人間は頭が良すぎるために
失った感覚が多すぎるような気がするんですよ。

今は原始感覚操体法をやじうましています。

ありがとう

イメージから実感の操体法

今でもやりたいことはたくさんあるのですが
あまり意識しないようにしています。

あれをやりたい!
これがほしい!

と思ってしまうと
自分がつらくなるんです。

まあ五体満足な人なら
頑張ればなんとかなることもありますが
この体ではね。

妄想ってね
むなしくなってくるんですよね。
「実体がない」わけですからね。

それならばいっそ
実体のあるもので喜んでいればいいわけですよ。

私はね
想の操体もいろいろやじうましてきたんですね。
EFTとか自己啓発とかスピリチュアルなどの
本もたくさん読みました。

願いは叶う系の話はたくさんあるわけですが
どうやら本には書かれていない部分が
大事だったりするみたいですよ。

私は理論やイメージなどの妄想をやめて
「実感」を大事にするようになったんです。
なかなか面白いですよ。

ありがとう

人間の価値という操体法

こうして家に籠もっていると
「自分には価値が無い」と思えてきます。

「働かざる者食うべからず」と言うのは
根強い呪縛ですよね。

「人間の尊厳」などというきれいごとは
「同情するなら金をくれ」という
現実に吹き飛ばされます。

「あなたは生きているだけでいいのよ」というのは
あくまでも「周りの人間の気持ち」です。
本人の気持ちではありません。

痛くて苦しいのに
生きていて良かったと思える人は
あまりいないと思います。

こういうきれいごとというのも
縛る言葉なんですよね。
暗い言葉は聞きたくないから言うなという
「他人からの禁止」の言霊です。

代わりになるような
「本人が癒される」言霊は
なにかないかなーと思います。

おらってすげえじゃん!
この痛みは誰でも耐えられるものじゃないよ
すごい仕事をしているね!

というのはどうでしょう?(笑)

病気や障害を持つ人は
「痛みや苦しみに耐えることが仕事」だと
言えるのかもしれません。

いくら働いても
家事や育児のように
収入にはならないものもあります。

そんな時に
金銭だけではない価値を
見いだすことも必要ではないでしょうか。

これも想の操体なんてすよね。

ありがとう

すきま風操体法

私が外に出たくないと思うのは
体が痛かったり
動かないということもありますが
それだけではないんですよ。

他の人がうらやましいんです。

例えば私は車が好きなんですね。
運転できる人がうらやましいとか
好きな車に乗っている人が
うらやましかったりします。

今ではだいぶ慣れて来ましたが
車に乗っている人を見ると
心の中をすきま風が吹き抜けて行きます。

引き籠もりはいけないなどと
言う人がいますが
そんな単純なことではないんですよね。

自分はできるから
気にならないだけなんですよ。
もしできなくなったら
同じことを思うでしょう。

私は引き籠もりに賛成です。
つらい思いをするために
外に出る必要はありません。

どうしても出たくなったり
気にならなくなったら
出ればいいと思うんです。

今はただ
すきま風を味わっています。

ありがとう

潜在意識の操体法

私は24時間続く視床痛の激痛や
半身麻痺で右手が使えなかったり
高次脳機能障害のため
できないことが多いです。

このまま死んで行くのかなあ
早く終わらないかなあと思う気持ちと
死ぬのは怖いという本能があります。

私が脳出血で意識不明だった時に
幻想の中で「死にたくないよー!」と
わめいていたことは忘れられません。

私は普段から死にたいと言っていましたが
本能は何がなんでも死にたくないみたいです。
意識と本能が違う時は
妥協案が採用されるみたいです。

今のように
半身麻痺で家に籠もる理由があるのは
ありがたいですね。
私は人間が怖いのです。

このまま引きこもりのまま
終わるのかも知れません。

潜在意識の願いは叶うみたいです。
これは潜在意識の操体法ですね。

ありがとう

1%の幸せ操体法

最近ではありのままで
幸せを感じられるようになってきました。

100%の幸せを望まないで
1%の幸せを喜ぶようにしたんですね。

つらいけれども
ほんの少しだけ良いこともあるから
「我慢できる」ようになるんですよ。

この「ほんの少し」が大事なんですね。
「痛くて我慢できない」状態から
「痛いけれども我慢すれば動ける」
状態になるわけです。

これが仕事だったら
大きな違いが出てきます。

そうやっていくうちにね
10年経つとずいぶん楽になってきました。

痛みのものさしで
一番ひどい時の状態を10とすれば
今は7くらいでしょうか。

これを
「まだ7も残っている」と考えるか
「もう7まで楽になった」と考える

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